2011年6月19日日曜日

書評: 40歳からの適応力

特に何か特別なきっかけがあったわけでもないが、いつの頃からか、自分は何かと焦って生きてきた。

「やりたいことを全てやりきるには人生の時間が余りにも短すぎる」と・・・。

こうして、ずっと全速力で駆け抜けてきたつもりだが、そんな自分も今年の12月で39歳になる。40歳は、もう目の前だ。いよいよもって焦りが募るばかりである。そんな時に本屋で見かけた本がこれだ。

「40歳からの適応力」
発行年月日:2011年4月1日 価格740円

■全力疾走し続ける人の人生観に触れてみたい

羽生善治氏と言えば、非常に早熟な人物・・・早くから棋士としての頭角を現し、数々の名人タイトルを総ナメにした人、という印象がある。実際、彼のプロフィールを見ると15歳で名人に、26歳で名人七冠を達成している。その後、波はあったようだが2011年に至る今でも三冠(名人・王座・棋聖)を保持している。

棋士は朝の10時から夜の12時まで、(合計2時間弱の休憩を合間に入るが)ほぼぶっ通しで、頭をフル回転させる職業だ。要求される集中力は常人には想像できない。そのようにハードな職業において、数十年もの間、棋士界のトップに君臨し続けていることを思うと、彼の経歴は、より一層際立って見える。

言わば”自分以上に全速力疾走し続けている人物”・・・そんな人が今年で40歳という節目を迎えるわけだが、彼がどのような心構えでいるのか、40歳という年齢をどう感じているのか、興味がわかないハズがない。自分も来年40歳を迎えるにあたって、何か、人生の良いヒントが見つかるのではないか?そんな期待を持ちつつ、本を手に取った。

【本の構成】
1章「豊富な経験」をどう役立てるか
2章「不調の時期」をどう乗り越えるか
3章「独自の発想」をどう活かすか
4章「変化の波」にどう対応するか
5章「道の局面にどう適応するか

■羽生善治氏の頭の中って、きっとこんな感じ?

さて、この本を読んだ感想だが、読み終えてのわたしの第一声は、

「・・・・うーん・・・・」という唸りだ。

これまでに色々な本を読み、思いつくままを感想文として書いてきたが、今回ほど自分が感じたことを、表現しづらい本も珍しい。

もう少し積極的に表現してみるなら「羽生善治名人の頭の中を、素直にそのまま文章という形に書き下ろすと、こんな本になるんだろうなぁ・・・」といったところだろうか。

とにかく読んでいる話題があっちこっちに飛ぶ印象だ。そう、あたかもマルチタスクで物事を考えている人の頭の中を覗いているかのような感覚だ。タイトルと中身が微妙に一致しておらず、結局、(章、節、段落で)何が言いたいのかわからない、こともしばしばあった。

違和感を感じた文章例)
タイトル:「疲れやすいと集中力も続かない」

『将棋の対局では待ち時間がとても長いものもあります・・・(中略)・・・ぼーっとしてしまってもリフレッシュして集中しなければなりません。ちょっと席を外したり水分を補給しながらやっています。ですので、集中力は体力とも密接に関連しているようです。体力がなく、疲れやすければ集中力も持続させるのは難しいでしょう。やはり、健康はなによりも重要なことであると思えます。”ランナーズハイ”と呼ばれるものがありますが、将棋の対局にも同様なことは起こり得ます。くたくたになったその先に、さらなる集中の世界があるのも事実です。ほとんどの世界ではそこまでやる必要性はまったくないわけですが、それだけ集中の世界は奥深いものです。楽しみながら少しずつ深い集中を知っていくのが安全・健全なのでしょう。浅瀬でも深海でも見える景色の美しさに変わりはありません。』

また、棋士名人だけに記憶力が抜群に優れているのだろう。著名人の格言や書籍・映画の引用がものすごく多い。孔子、千利休、アルビン・トフラー、佐藤優、ジャック・マイヨール、マザー・テレサ、クラーク博士、ニールスボーア、大山康晴、サリンジャー、ヒッチコック、スティーブ・ジョブス、ニュートン、コロンブス、宮沢賢治、トルストイ、チェーホフ、オバマ大統領、安部公房、金出武雄などなどだ。

逆に言えば、他人から借りてきた言葉が多すぎて、彼自身の思いが埋没してしまっている感が否めない。(文体の問題でもあるのだろうが)、文中やたらと「~であるようです」「~かもしれません」「~したいものです」といった語尾で終わせる文章が多いことも、彼の主張をぼやけさせてしまっている理由の一つだ。

■40歳でもマイペースで行こう!

ところで、羽生善治氏は本の結びで、平均寿命が延びた現代においては実年齢に八掛けをした数字こそが、昔の人(例えば、孔子や信長など)が意図した年齢に近いのではないか、と述べている。また、この前提に立てば、40歳などという年齢は八掛けで32歳・・・論語で言うと頃のまだ”三十にして立つ”・・・すなわち”自立したばかりの若造に過ぎないではないか”といわけだ。

「40歳はまだまだ若造・・・この節目に何か特別な意味があるのか?・・・」

という氏の思いが聞こえてきそうである。だからだろうか、本全体を読み終えても「40歳では、こうこうこうだから、私はこうあるべきだと思います!!/こうします!」という羽生善治氏の強い意志が伝わって来なかった。

この本のタイトルである「40歳からの適応力」を、わたしなり解釈した言葉でまとめるならば、

「40歳だからと特別な意識をする必要は無く、従来通りやってきた正しいと思うことを、これからも継続してやっていきましょうよ」

という感じだろうか。少なくとも自分はこの本を読んでそのように感じた次第である。


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